自己心理学の概要
自己心理学とは、アメリカの精神分析家であったコフート Kohut,H.が、その流れをつくった精神分析の一学派です。コフート自身は、精神科医で、第2次世界大戦を契機にヨーロッパからアメリカに渡り、シカゴを中心に精神分析の発展に寄与しました。もともとは正統派と呼ばれる、フロイトの考え方に忠実な立場にあり、アメリカ精神分析学会の会長もつとめました。
しかし、自己愛の傷つきを抱えた、自己愛人格障害の患者さんの治療を経験する中で、次第に、従来の技法、そして理論を改変していき、やがて自己心理学と呼ばれる独自の立場を形成していきました。
自己心理学のユニークな点のうち、代表的なものをあげてみます。
1.患者・クライエントに傾聴する際に、「共感empathy」を重視します。これは、相手の立場に立って、クライエントの体験を感じ取るというもので、クライエント中心療法のロジャースが、ちょうど同じ時期に「共感的理解」を強調したのと、偶然ですが軌を一にしています。また、コフートは、セラピスト自身の体験を内省することも、あわせて重視しており、「体験中心の立場」といえます。
2.「自己対象selfobject」という用語が、キーワードになっています。これは、他の学派やもっと広く他の心理学の領域にもない、独特の言葉です。「自己self」が存在するためには、養育者や環境からのサポートやケアが必要です。自己心理学では、こうしたサポートやケアを必要とする自己の欲求needと、それがどのように満たされてきた/満たされなかったかを重視します。こうした自己がまとまりや継続性をもって存在するために、必要となる対象が「自己対象」ということになります。この言葉は、実在の養育者を指したり、ウイニコットのいう移行対象のような代理物を示す場合もありましたが、次第にその働きである「自己対象機能」や、自己がそうした体験をするという意味の「自己対象体験」という用い方が主流になっています。
3.自己心理学は、初め自己愛人格障害のクライエントを理解し治療するものとして生み出されましたが、その適用範囲は広がっていき、また、乳幼児観察に基づく研究とも連動して、今ではトータルな発達・人格・治療の理論となっています。
4.最近では、ストロロウの「間主観性理論intersubujective theory」やリヒテンバーグのモチベーション・システム理論などへと発展してきています。
私は、共感をテーマにしてきたこともあって、自己心理学に触れるようになりました。コフートの3著作は、なかなか読み解いて、その意義を把握するのは、私にとってむずかしいところがありますが、彼の同僚や次の世代の自己心理学者達の書いたものは、それなりにこなされていて、私にも得るところが大きいです。
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国際自己心理学会・ミニ印象記
1998年(サンディエゴ)と1999年(トロント)には、国際自己心理学会に参加してみました。英語力が堪能ではないので、困ることも多かったですが、文献上でしか知らなかった人たちの人となりに触れられたのは、収穫でした。
その時の印象を少し述べます。
Paul Ornsteinさんには、1998年の際に、当時まだ勤めてられたシンシナティ大学に伺い、直接、お話をさせてもらいました。今は、奥さんのAnna
Ornsteinと共にボストンにおられます。Ornstein夫妻は、直接コフートに教えを受けた世代です。訳書としては、「コフート入門(岩崎学術出版)」があり、原本はPaulの編者です。PaulとAnnaは老夫婦ですが、二人ともお元気で、活力にあふれてられます。パネラーとしてのPaulは、なかなか毒舌家でもありながら、皆を笑いに誘います。個人的にお会いしたときは、とても丁寧に応対してくれました。日本から、心寂しくやってきたものにとって、自己対象体験を十分に味わう機会になりました。
乳幼児研究でも著名な、Lichtenbergさんは、温和でかつウイットに富んだ臨床家です。コフートに直接教えを受けた世代で、乳幼児研究をコフートから勧められたそうです。ケースのコメントを聞いていると、乳幼児の観察体験が、大人の治療を見るときにも、調和されているのがよく伝わりました。彼独自の理論として、先にも触れましたが、モチベーショナル・システム理論があり、著作も3冊あります。後の2冊は、LachmannとFosshageとの共著です。
Lachmannさんは、乳幼児研究をされてきた人で、ちょっと肥満タイプで「わっはっは」と陽気な感じの人です。
Fosshageさんは、理論家肌の人です。トロントの学会の際に、学会主催の朝食時に、私が一人でいると、話しかけてきてくれました。自分たちの本が日本に翻訳されるといいなといってられました。ご家族のどなたかが日本にいられるか、日本人と結婚されてるらしくて(よく聞き取れなかった)、日本通でもありました。
Stolorowさんは、Atwoodさんと長年コンビを組んだ、中堅世代の、めちゃめちゃ理論家肌の人です。訳書も丸田先生が2冊出されています。「間主観的アプローチ」「間主観的な治療の進め方」(いずれも岩崎学術出版)。低温のいい声で聞き取りやすい発音をされます。お手紙を書くと、即座に返事をくれますが、Eメールはされない主義のようです。