天気の子 (2019 新海誠監督)雑感
おおむねストーリーに沿っていますが、テーマに分けて書いていますので、流れが前後しているところがあります。
①作品のメインテーマは「祈り」だと思います。様々な祈りがあります。現世利益もあり、苦しみからの解放もあり、誰かのための祈りもあります。自分に素直になりたいという祈りもあります。
②二人の主人公のうち、帆高は家出をして、大人になろうとしています。雨も晴れも彼は素直に感じたくて、自然が豊かな離島から、混沌の街である東京に来ます。人の変化につきものである「生」「死」「性」が錯綜するのが東京で、そこに出てきます。
③「祈り」によって、人は自然な心の動きを取り戻そうとするのかもしれません。狂っているように見える世界ですが、それはある見方からはそうなのであって、本来は自然な状態かもしれません。それに気がつけば、「大丈夫」と落ち着いていくことができる、帆高と陽菜は、結局そんな風に相手を思って祈るようになったといえます。
④二人が世界を変えてしまった、というテーマは、二人の心の世界(ミクロコスモス)と天気という大きな世界(マクロコスモス)の繋がりを表しています。人の小さな心が変わることは、とても大きなことでもあります。天気の変化は、感情の動きでもあります。
⑤「拳銃」は重要なツールで生死を際立たせ、ミクロコスモスとマクロコスモスをつなぐ役割を果たしています。
⑥天気が人の心を晴れたり、曇ったりさせます。日が射せば、「初日の出」のように、生と聖がつながった宗教体験にもなります。高層ビルの屋上の絵はとても美しいです。
⑦日の出がマクロコスモスな美しさであれば、小さな人の幸せを祈るのがミクロコスモスの美しさになっています。帆高は、ホテルで陽菜と凪と3人の幸せが続くことを祈ります。個人的にとても好きなシーンです。
⑧もう一人の主人公である陽菜は、母を亡くした喪のプロセスが大きなテーマです。母のブレスレットをネックレスにし、最後はそのくびきから解かれています。晴れを祈る姿は、母の生を願い、死を否認するという面を含んでいると思います。生活に追われて、初盆を知る機会もないままに、ここまでを過ごさざるを得なかったので、日の明るさに惹かれる姿はとても切ないものです。
⑨陽菜が帆高に救われたのは、何を祈る(願う)のかを変えられたからだと思います。自分の悲しみ(止まない雨)に素直になってよい、その結果何かを変えることになっても、それが自然な自分のあり方だと思えたこと。
自分では気づけない意味を見つけてくれる誰か(帆高)と出会うことは、誰にとっても一生を通じてのテーマだろうと思います。
⑩陽菜にとっての事件後の3年間は、母の死を悼む時間になっています。3年後に出会った時に、陽菜はフードを被って祈っていました。帆高の3年間の保護観察期間も、変化・成長を定着させるための期間といえます。非現実と現実をつなぐために必要な時間であり、思春期・青年期の「繭」の時期として、外からは無変化に見える時がいります。
⑪後半、帆高は陽菜が昇った雲を目指して、電車のレールを自分の足でひたすら走ります。この快晴は、陽菜の感情を殺したことで生まれたもので、陽菜の悲しみを取り戻しに帆高は走ります。敷かれたレールを電車に乗って運ばれるのではなく、自分の足で走っていくのがとてもいいシーンです。
⑫圭介も妻を亡くし、喪のプロセスで停滞していました。指輪を妻の分もつけ、二重のリングから抜け出せないでいました。帆高が天に昇った陽菜を追う姿に、知らぬ間に涙を流し、妻の死を悼む(祈る)ことになります。帆高を止めようと現実的な大人の対応をしようとしますが、最後は帆高を助けて行かせます。それは圭介自身の感情を助けることにもなっています。
初めてこの映画を見たときは、⑦と⑪がまず響きました。3回目で⑫に気がつき、⑧や祈りの様々な意味合いが、くっきりとしてきて、より面白さが増してきました。
以上です。